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肴町(さかなまち)は、17世紀初めから1970年(昭和45年)まで、日本の仙台にあった地名である。1945年(昭和20年)までは魚屋の町として栄えた。現在の地理では肴町通り〔御譜代町まちづくり協議会活動エリア (仙台市)〕の両側、仙台市青葉区の大町2丁目の一部と、国分町1丁目の一部にあたり、仙台市都心部のやや西に位置する。 == 概要 == 戦国時代に米沢にあった東町()の住民が、伊達政宗の居城の移転に従って、岩出山()に移って肴町を作り、それが仙台城下町創設時に移転したのが仙台の肴町の始まりである。同様の移転を経た6つの御譜代町の1つで、仙台24か町の町列の中で第2位とされた。仙台城下町の東西の基線である大町の一つ北を平行し、南北の基線である奥州街道・国分町から西に出る、東西に長い町であった。 江戸時代初期には、仙台に入る水産物(五十集物)の販売を独占する特権を与えられた。この特権は、小売については1675年(延宝3年)に廃止されたが、その後も卸売を独占する特権が残った。その特権も失われた明治時代以降も、毎日魚の市が立つ魚屋の町であった。江戸時代には肴町浜祭を催し、明治・大正時代には凝った仕掛けの七夕飾りが仙台の人々の目を楽しませた。 1945年(昭和20年)の仙台空襲で焼き払われてから、魚屋の町ではなくなり、住宅地として復興した。1970年(昭和45年)2月1日には住居表示実施で町名が消えた。2015年現在は、肴町通りという道路とその道路に面してある肴町公園の呼び名として残る〔斎藤善之『仙台城下への肴の道』68頁。〕。 肴町通りと国分町との交差点角には専門学校があり、肴町通りを東に延長した先には若者に人気の街区であるぶらんどーむ一番町がある。この道筋は1990年代から(踊る方の)クラブが集中し、ファッション関連の店も並んで、夜にはハイドロ系の車が集まる道となった。肴町公園周辺は、大町の西欧館にBEAMSが出店(現在は歯科医院)したこともあって、裏町的な店が点在している。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「肴町 (仙台市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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